新作アルバム「キョウトアンビエンス 2」を世に出して1ヶ月になりました。今回の作品は不思議なことに、発売当初から世の中に行き渡ってゆく勢いが、これまでの7作とはまったく違う手応えでした。これも、ぼくの活動を応援いただいた皆さまのおかげです。
そもそも人はどうして「表現」したい欲求が生まれるのか? 諸説はあると思いますが、少なくともぼくにとっては「コミュニケーションのツール」として、音楽作品を世に産み出したがっているのではないか。つまり「作品」を通して、通常のコミュニケーションでは表現しづらい「大切な何か」を、他者とシェアしたい。
今回のアルバムは、産み出す当初から、自分の存在を超えた「ナニモノ」かに突き動かされるような制作過程が続きました。気障な言い方ですが、「京都の水の存在」が自分の「音やピアノ曲」を通して、世に出たがっていたのではないか、と感じます。
制作途中の風景はほとんど何も覚えていないのですが、手や指が無意識に動いて、気がつけばアルバムが完成していたように思えます。完成後も、じぶんでプレスリリースに奔走したのは事実ですが、次々と、この作品がほしい人の元に嫁いでいっているようです。
このような制作の渦中に携われて、音活動をやって本当によかったと感じています。とはいえ、まだまだ表現力の足りなさを感じていますので、もしよかったら、よいタイミングのときにでも、ぼくの音活動にお付き合い願えればと存じます。