孤独な楽器=ピアノ / '13.12.19

ピアノっていう楽器は、
つくづく孤独だなぁと思うこの頃。

特にグランドピアノは、
演奏者と打鍵する場所が離れているので、
どこか遠くにある楽器を間接的に鳴らしている感じ。
(アップライトは打鍵部分が幾分近いのでマシ)

というのも実習授業のときに、
学生が自前の楽器を持ってきて、
ぼくもちょこっと弾かせてもらった経験があった。
一つはヴァイオリン、もう一つはソプラノサックス。
どちらもじぶんにとっては初めて触る楽器だった。

ヴァイオリンは本体を肩と顎の間に挟むけれど、
弓で弦を撫でた途端に強い共鳴感覚が身体に響き渡った。
ソプラノサックスは吹き口(リード)を下唇で固定して、
息を吹いた瞬間に強い共鳴が下唇で(痛いほどに)発生した。

この体験は、ピアノを指で打鍵するときには、
ぜったいに味わえない音響経験だ。
じぶんの身体まるごとが音と共振する感覚。
いってみれば、じぶんが楽器そのものになった感じ。

さらに演習中に学生の一人が、
手笛(ハンドフルート)の存在を教えてくれた。
じぶんの手と口だけをつかって、
まるでフルートのような音色の単旋律を奏でるもの。
これは声帯のようにじぶんの身体の一部が、
楽器として機能している例だ。

ここまでの共振作用のある楽器(演奏形態)に触れると、
じぶんの手をつかって打鍵し、
遠くにあるハンマーを間接的に鳴らすピアノは、
演奏、というよりも、操作に近いイメージになる。

もちろん、グランドピアノをつかって
じぶんの身体感覚を限りなく投影し、
体感的な演奏をする人はいるけれど、
メカニカルな媒体を距離を持って操っていることは、
紛れもない事実だ。

だからこそ、ピアノを演奏するときは、
ピアノが孤独な楽器だからこそ、
心の底で思いっきり「歌い上げる」感覚が、
とても大切になってくるのだろう。