情報媒介としてのウィルス / '20.03.11

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雲一つない空の下で、朝のランニングをしました。小学校の休講措置の影響で、親子3人で走り始めるのですが、いつも決まって僕は最下位になります。たぶん時速6キロの低速走行の影響。でも、ずっと走り続ける意識で(信号待ち以外は)走っています。朝の習慣。

大学生は春休みですが、いくつかの会議に出席するために大学へ。最寄りの駅から大学まで2キロ強の距離ありますが、できるだけ徒歩で。その移動を「通勤散歩」と自称していますが、本日はコンデジを持って、周囲の視覚環境を意識するスイッチを入れて歩きました。

ふだんは耳人間なので視覚への意識は弱いのですが、視覚風景を切り取る意識を持つと、俄然風景への集中度は変わります。何気ない街路、何気ないいつもの山々…。当たり前の世界をメタ認知しながら眺める「客観的視点」を獲得する面白みを与えてくれます。

通勤散歩の欠点は、怪しく見えること。いみじくも踏切を渡る途中で撮影しているところを同僚に見つけられました。音鉄ならぬ撮り鉄。意外だったと思います。帰り道でも同じことをしていたのだけれど、今度はパトカーが目の前を通過した後、偶然にも先の方で停止していました。

大学の授業開始が4月20日に延期されたとの知らせが。卒業式も入学式も全体集会が取り止めになり、授業開始も先延ばしになり、学内外のイベントも中止や延期になり…。周りからじわりと真綿で身体を締め付けられるように、新コロの影響が出始めてきました。ウィルスは情報という目に見えない媒介によっても、心理的な圧迫感をもたらします。