手入れの精神と手箒 / '13.12.18

知り合いオススメの養老孟司氏の新刊文庫
『手入れという思想』を読みました。
「人間が手入れした自然にこそ豊かな生命が宿る。」
という例を、日本文化や現代社会の生活風景から、
いろいろな視点で読み取られており、
とても面白かったです。

それを読んで強くイメージしたことは、
最近の「庭の手入れ方」です。
特に、今の時期によく見られる、
枯れ葉掃除の方法。

20〜30年ほど前までは、
竹箒や手箒、ザルなどを使って、
人の手によって掃除される風景が、
多く見られました。

ここ最近は、その作業が煩わしいのか、
ドライヤーの大型版のような
エンジン式のブロアーが使われることが、
(特に面積の広い公園や庭園などで)
多くなってきました。

スイッチ一つで、
枯れ葉を吸収/飛ばすことができるけれど、
その代償としてブロアーから発せられる「騒音」が、
けたたましく園内に響き渡ります。
その音は庭を通り越し、遠くまで届きます。

手間や人件費などの折り合いで、
こうした機械を使うのでしょうけれど、
一つの見方としては、
大切な何かを「手入れ」する精神性が、
ここ最近大きく変化していることの
顕れではないか、と思うのです。

清掃している方の風景もまた、
その場の雰囲気を立派に成立している環境資源。
手箒を苔や白砂の上を走らせる音は、
ぞくっとするほど心地よいです。
まるで自分の気持ちも掃除されているかのよう…。

そうした清掃の方法も並行選択させながら、
庭や空間の道具を積極的に選んでみる行為も、
日本文化の熟成に一役買うのではないでしょうか?