猫松コラム

2007-02-27


<シゴトやってる。つもりが。。。>

パソコンという機械はほんとにフシギなものだ。
ただ画面を見てるだけで、まわりからはシゴトやってるな。って思われる。
おまけに、ぱたぱたキーボードを打つ仕草をしていたら、
何かシゴトしてるんじゃないかというアウラが噴出する。
だから、あえてシゴト中なポーズとるフリをつくるために、
ノートパソコンを開いて、作業している人だっている。

ぼくなんかも、パソコンを熱心にやってる人に向かって、
シゴトを依頼することなんかできない、小心者であります。
でも、自分のことを振り返っても、シゴトやってるつもりで、
パソコンを触ってみて、フト何かの拍子で、まったく別のことを、
(おもに、ウィキやyahooなんかで、思いついたものを検索することを)、
やってる自分に、あとになって気づくことが多い。
そんなときにかぎって、時間が妙に経っていて、肝心なシゴトが捗っていない。
ぼくのサイトにやってくる人だって、最初に訪れる場合の手段は、
ほぼ間違いなく「何かの検索をした結果」、このサイトに来られるのだから。
(というのが、分析ツールを表紙にひっつけているので、わかるのですが)

つまりは、いまの時代、何かを検索することで、時間を取られ、
おまけに、人が流した情報だというのに、まるで自分が自力で、
探し出したかのような、妙な錯覚に陥ってしまうこともあるわけでして。

そうこういううちに、小一時間が経ってしまって。

何かの情報をむやみに探したり、とらわれるうちに、
すべき作業の時間は、儚く去ってしまっております。

これぢゃあ、いかん。いかん。ということで、
最近は、意識的に、すべき作業時間を確保することにしていますが、
いまや、検索の時代なんですね。CMにも検索表示が映し出される時代だし。

歩く辞書ならぬ、歩くインターネットという言葉を、
最近聞いたことがあるのですが、これって、
一次資料を取ったことには、
ならないですよね。
なんていうか、寝ても覚めてもつなぎっぱなし、検索しっぱなし。
そのために、人が純粋に人生する時間とか、創作する時間は減るわけで。
検索の時代って、検索している人が、何か蛻(もぬけ)の殻になった風景のようで、
あまり、よろしいことでは、ないような気がします。

情報の飛び交う量は、日々自乗的可級数的イキオイ(こんな表現あるのか!?)に、
増え続けていっております。

ふーっ、あまり、くだらんことばかり書いてないで、寝よ、寝よっ。