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京のまち、音曼陀羅 ―京都・音景観創造プロジェクト―
京の音景観を一掴みにしたい。そんな気持ちが高まるとまちを離れ、比叡山に足を運ばせる。そこには現代のまちが蠢くリアルな姿がある。夕暮れになると、まちの灯りはちかちかと空気の層に揺られながら標高八百メートルの展望台まで立ち昇ってくる。ひとつひとつは小さいけれど、そのなかには人の活動があり、ドラマがある。
まちの方に耳を傾けると、はじめはしんと静まりかえっていた音の世界が、次第にひとつの塊となって耳に飛び込んでくる。通奏低音のような地響きに近い音の波。微妙なゆらぎを伴いながらさまざまな成分を放っている。その正体は内燃機関が発する自動車のエンジン音や人の喧噪だ。同じ時間に人が蠢き、都市も蠢く。不思議なことに、街中のうるささは感じられず、ソリッドで繊細な音に変換されている。高い場所から下界の音を望むと浮遊した感覚になる。大袈裟に言えば、宇宙船から地球を眺めている乗組員のよう。音をきっかけに、かけがえのない愛着を京のまちに抱くじぶんに出会う。
早朝になると、深夜よりもずっと静かな世界がある。京のまちを囲む山々はたおやかな稜線を描いている。京の盆地から聞こえる朝の静かな音宇宙は、昔のままの姿だろう。かわるものとかわらぬもの。その違いを胸に刻みながら、古から未来につながる京のまちのことを、ずっと考えていた。
1―――音景観から、京のまちを眺める
音を切り口に、まちの景観に想いをめぐらすと、おもいがけないおみやげがもらえる。それは、目では捉えることがむずかしい臨場感や息づかいといった、直接情感に訴えかける力である。音を聴くだけで次々にイメージが炙り出され、五感すべてが新生される気持ちが芽生える。まちの姿を音を切り口に眺めてみると、視覚ではこぼれ落ちていた大切なエッセンスを見いだしたり、思いがけないアイデアに遭遇する。つまり、音景観は流動的な場の雰囲気を直観的に把握するための恰好のメディアである。しかし、音は目で見える景観分野とは違い、定量/定性的に扱うことはむずかしい。音は現れては消えてしまうし、一定の時間に流れる音景観を録音して確認するには、現場で録音したのと同じ時間を要するからだ。しかも、音のデータは莫大な量であり、その処理には高性能なハードウェアが(そして莫大な時間さえも)必要になる。
それでも、近年の機材技術の発展のおかげで、さまざまな方法で音景観の収録や保存が可能となった。その流れに連動して、身近な音環境を感じ直そうとする動きがさかんになってきた。経済低迷期な現在では身近な生活の良さを再認識したり、身体感覚を大切にしたいと思う人々が増えてきた。つまり、身近な感性資源を、音という切り口から捉え直す活動が期を熟したわけだ。そうしたモチーフを抱きながら、産学連携のコンソーシアム事業の一環として、京都を拠点に「音景観創造プロジェクト」を進めている。
2―――京のまち、音の考現学
京に相応しい音のイメージといえば、寺の鐘の音、舞妓さんのこっぽり、二条城の鶯張り、詩仙堂の鹿おどしなど、わりに音の考古学/ステレオタイプ的な例が挙げられるけれど、音の観点から京のまちを新生させるには、まず音景観の現状を捉えることが先決だ。こうしたことから、京のまちを考現学的に捉えることにした。
大通りの主要交差点(四条烏丸や北大路堀川など)、辻が交叉する交差点(上御霊新町や新町六角など)の計40箇所を調査地点にして、2002年の11〜12月にかけて約1ヶ月間の朝昼晩、各10分間ずつ計345回の調査を実施した。
大通りに関しては、交通音が最も多く、声や足音などの生活音が続く。そして目の不自由な人のための信号機音・出入口誘導音・方向指示音などのサイン音(記号的機能をもつ信号音)が確認された。サイン音が同時多発的に発生していて、識別がむずかしい現状にさらされている。
辻に関しては、交通音のほかに人の息づかい漂う生活音が意外に多い。交通音が途切れる瞬間には、やわらかな京言葉を喋る声が、町家のあちこちから立ち現れることもある。朝や夜にはヒューマンスケールな生活音が多く聞かれる。住民の生活スタイルがほどよく音に現れている。けれども交通音が人に与える影響は大通りよりも大きい。辻の両側には道路から至近距離で建物が張りつくように建って閉空間を形成しており、うるささが一層強調されるからだ。というよりも、もともと京のまちなかは自動車音のことなど考えて計画されてはいないのだ。
それに較べ、植栽が豊富な御所建礼門前は圧巻だ。周辺の大通りに車が行き交う昼間の時間帯でさえ、街中では異例の45デシベル前後のしずけさが存在している。そんな中で鳥の音や虫の声、繊細な木々の葉擦れ音、人が砂利道を歩く音がやわらかく漂ってくる。周辺には大きな樹木があって交通音を遮ったり、周辺の大通りからかなり離れているために、まるで古の時代に戻った感覚を得る。
交通音が跋扈する大通りから少し辻に入り込むだけで、今でも豊富な音環境が聞かれるのが京のまちだ。都市の中の身近な自然環境に出向くと、意外な静寂が存在する音景観が確認された。<いにしえ>と<いま>の音景観が共存している状態をあらためて捉えることができた。
3―――音景観デザインへ
そうした現状を見据えながら、本プロジェクトでは具体的な音景観デザイン例を提案している。
例えば、御池通。京の新しいハレの道路である。戦時中には南側の民家を強制疎開させ、片道3車線の50メートル道路として現在利用されている。この道路から発生する交通騒音の不快感を、葉擦れ音や水音などの自然音によって緩和する提案を行っている。聴覚はそれだけで完結した感覚になるのではなく、視覚領域(あるいは他の感覚領域)の影響を受け、特定のイメージを形成する。例えば、視覚と聴覚との関係。交通音と自然音を重ね合わせば音の物理量は増大するが、不快に感じる心理量は減少する実験結果が得られている。
そこで注目するのが、樹木の葉擦れ音。御池通の両側にはケヤキとプラタナスなどの街路樹が植樹されているが、葉擦れ音をマスキング音として利用する可能性を考案した。マスキングとは、ある音の大きさが別の音の存在によって減少する現象で、周波数が近ければ近いほど効果は大きくなる。自動車走行音の周波数は1,000Hz付近にピークがあり、その成分が驚くほど葉擦れ音に似ている。この結果は、葉擦れ音が自動車走行音のマスキングに有効なことを意味している。幸いにケヤキは葉擦れ音が鳴りやすい樹木であり、風が吹けば音の発生が期待できる。街路樹と葉擦れ音の効用を今後アピールすることが肝要である。また河原町通以東鴨川以西の御池通の中央分離帯には噴水が施され、一定の水音を発生する。水音や水が噴き出す景観から得られる爽快感などが、車の喧噪感を少しでもやわらげてくれる。今後マスキングに効果のある水音の開発や、視覚と聴覚の相互作用に配慮した景観計画の施行によって、環境の質的な改善を進めることが必要である。
また、先述した「サイン音」の改良も欠かせない。とくに烏丸御池交差点では調査中、63種類を確認した。詳細は、信号機音・建物の入口誘導音・自動車方向指示音・携帯電話着信音・テレホンカード排出音などさまざまな種類があり、まさにサイン音が錯乱している状態だ。人間が音を識別する能力はすぐれていて、音の高さ(周波数)・音色・音源の位置が少しでも違えば2つ以上の音を容易に聞き分けることができる。しかしながら現状のサイン音では、目的のサイン音を識別しづらく、さらにどこで鳴っているのか分からない状況にある。交通騒音や風でサイン音がかき消される場合もある。このままだと、視覚に障害をもつ人がサイン音を誤認して事故に結びつく可能性もある。管理者側は問題の一時的回避のために、安易に音量を上げがちになるが、スピーカの配置を換えたり音質(音色)を改良しないことには、根本的な解決にはつながらない。
その解決策をまずハード(機器)面から提案すると、スピーカの位置をイヤーライン(耳高)に近づけ、可能ならばスピーカを歩く動線に応じて分散(複数配置)させること。そうすれば、小さい音量であっても音を確実に耳に届けることが可能となる。そして車の音にマスキングされない周波数帯域の音源に改良すること。音を発生するハードウェアは日々改良されているから、それほど難しいことではないだろう。次にソフト(コンテンツ)面。サイン音を必要な人のもとに確実に伝達することが最重要項目だけれど、誰の耳にとっても不快感の生じない(場合によっては心地よい)音に改良することも、今後の大きな課題である。音で伝えるべき意味を統一したデザインとハード面の改良活動を進めていきたい。
4―――おとのおくりもの
古都といえども、現代社会の波に煽られながら、景観の変貌を余儀なくされている。音も例外でなく、他の地域とほとんど変わらない音景観が京のまちのあちこちで聞かれる。中心部では町家が取り壊されマンション林立が当たり前になっていて、まちなかを歩いていると、必ずといっていいほど建設音が聞こえてくる。都市生活を営めば、無意識にそうした音景観をつくる一員になってしまっている。
それでも京のまちで生活していると、ときの流れを忘れさせる音景観にめぐりあう。7月上旬、祇園祭前の各町家で祇園囃子の練習がはじまると、現代と古代が交叉した感覚になるし、初冬の頃、托鉢の鈴の音を聞くと寒さの厳しさがまざまざと想起される。豆腐売りのラッパや農産物などの物売り音も現役で聞かれる。音の景観は、目で見た景観と同様に社会や文化の鏡であるし、そうした感性資源の継承には、人の存在やまわりの環境整備/保全を欠かすことはできない。
世は変遷を遂げるものだ。かわるものとかわらぬものを等価に感じ、<いま>の音景観という遺産を保存するために、本プロジェクトでは、音の保存という作業を行っている。先ほどの大通りや辻での調査活動に連動して音景観をデジタル録音し、音のアーカイヴを蓄積している。その中には、京の音資源として欠かせない旗日(祭)音や観光音も含まれている。保存された音データや環境音の実況中継を世界中からアクセスできるように、大容量のサーバーを立ち上げ、音情報のシェアを図ろうとする壮大な計画が現在進行中だ。
音は空気のように身近にあるがゆえに、そのオリジナリティやありがたさを忘れがちになる。だから、音の録音や再生、さらに時間や空間を超越した音の同時多発的中継というプロセスを経ることによって、程良い距離をもって音の世界を、そして京のまちを(あるいは他の地域でさえも)再認識できる効用がある。そして未来の人たちに向けて、現代の音景観という感性資源を、<おとのおくりもの>として伝達していきたい。こうした音の夢がふんだんに含まれている「京都・音景観創造プロジェクト」は、まだ始まったばかりだ。
京というまちに限らず、世界各地で音を巡る活動を展開してはどうだろう。じぶんの身体を録音機に見立て、フル活用してみると、心地よい音景観に遭遇するかもしれない。好きな音楽を聴くようにまちの音を愛(め)で、理想的なまちの音を創生するアイデアを紡いでみる。そこからまちの環境音は洗い直され、日本の景観が新生されていくのではないだろうか。(consultant223号に記載)
●参考文献
・小松正史, “音環境のデジタルアーカイブ研究開発
-快適な環境創造のための景観設計に向けて-, ”京都精華大学紀要第25号, 55-74 (2003).
・小松正史, “環境音の評価に及ぼす植栽の効果
-音と映像の相互作用-,”大阪大学大学院工学研究科2001年度博士論文 (2002).
・柳町敬直, 京都の大路小路, 小学館, 2003. |
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