サウンドスケープは、
一九六〇年代にカナダの作曲家で音楽教育家の
「マリー・シェーファー(Raymond Murray Schafer: 1933-)」
が提唱した概念だ。
ランドスケープ(landscape)を出所とするこの言葉は、
日本では「音(の)風景」といわれる。
ランドスケープは目で見る風景であり、サウンドスケープは、
ランドスケープの「ランド」を「サウンド」に置き換えてつくった造語である。
視覚ではなく、聴覚でとらえる風景が、サウンドスケープだ。
(でもほんとうは、音風景も視覚の影響を大きく受けているのだが)
この言葉のおかげで、音の多様な存在に気づくことができる。
サウンドスケープの流行に相反して、
騒音問題はいっこうに減らない。
それどころか、サウンドスケープの意味や実体が、
ただしく伝わっていない。
そして、音響機器やメディアの激変ぶりに連動して、
新たな音環境の問題も起こりはじめている。
サウンドスケープがもつ特有の「とっつきにくさ」は、
対象が「きくもの/こと」であることから発生している。
ランドスケープは「みるもの/こと」が対象なので、
他人に説明しやすい。数値による解明が容易で、制御もしやすい。
ところが、音の世界は真逆だ。例えば、ホワイト・ノイズのような
川音だけを再生しても、映像がなければ音を正確に説明することは困難だ。
水量、川幅、天候など、背景にひそむ情報は伝わりづらい。
サウンドスケープを難しくする原因が、もうひとつある。
提唱者のシェーファーがよりどころにしている専門領域が広すぎるのだ。
彼の主著『世界の調律』にも、音楽理論や専門用語が多用され、
門外漢には難しく映る。
だが、音の切り口をわかりやすく伝えれば、
私たちの活動に大きな滋養を与え、その質が上がることを、
これまでの経験で痛いほど感じてきた。
サウンドスケープ活動の壁を低くすれば、
異業種間の活動に多くの通交が結べる。
サウンドスケープを簡単に理解するのは、容易ではない。
でも、揺るがぬ事実がある。私たちには「耳がある」ことだ。
凡庸な言い方だが、サウンドスケープの核心は「きくこと」に尽きる。
身近な音に想いをめぐらせるとき、私たちの「耳」が先生となって、
絶大な指針を諭してくれる。
(つづきは、2007年秋に出版される「サウンドスケープの技法」で説明予定!)