|
第7回目
●「音すご。(省略形)」を読んでの感想の続きを。
文章がもつチカラを再認識しているこの頃。
本を読まれた方々から、珠玉の印象が届けられています。
音が人に訴えかけてくる衝動というのはものすごい。
一日で世界が変わるということは、人生のなかで
たびたび起こることだけれど、
それを『音』から感じられた読者の方が、
メイルを下さいました。
ぼくもそんな『音の衝動』がもっているチカラを、
幼少の時代に体験しました。
たぶん、音フェチの人生は、その頃から始まったんだろうな。
本日は梅雨の合間の激しい快晴でした。
人によっては
ハッピーなサマータイムかもしれないようなお天気でした。
起床間もなくトイレの窓からあおぐ空は
突き抜けるような眩しさでした。
その窓のフレームを右から左へ一機のセスナが
レトロなエンジン音を発しながら飛んで行きました。
その瞬間気持ちの中で何かがプツッと切れたんです。
妙な感覚が体を走りましたが
それが一体なになのかわからないままでした。
「夏の無音」
「町の喧噪を吸い込んでしまった夏の空」
「日傘をさして過ぎ行く人の足音すら聞こえない白昼夢」という言葉が
一日中頭をめぐりました。
気のせいだとはわかっているんですが
心象風景のなかにつかってしまったようでした。
精神論をいうつもりではないんです。
ただ音って強烈なんだなって思いました。
もし小松さんのご著書を読んでいなかったら
今日の出来事は妙に不安な白昼夢という
ことで終らせていたかもしれないんです。
ここにいることと音は切っても切れない。
自分が上賀茂のせせらぎに佇むことを
見事に見過ごしてしまっていることを
夏の無音が知らせてくれたのかも知れません。
ご著書を購入し読書することは簡単と言ってしまえば簡単ですが、
実際に自分ならではの音の捕らえ方に気づき出す事が
こんなに強烈だとはおもいませんでした。
平衡感覚を取り戻すために夕暮れに
上賀茂神社へホタルを見て参りました。
ほっとしました。
日記のような個人的な長文メールをすみません。
自分の音の捕らえ方、気のせいで済ませず
しかしあまり難しくも考えないように大事にしていこうと思いました。
ありがとうございます。
本はたんなる商品ではなく、
ジブンが持つ精神な遺伝子を伝える、
かけがえのないメディアであることを
今回のメイルを読ませてもらって、
痛いほどにわかりました。
これから、ぼくも、
ことばをたいせつにしながら、
作品を作り続けていきたいと思います。
ありがとう。 |