音の缶詰 / '13.11.26

音録り歴35年のワタシがいうのも何ですが、
自分で録音した音(これは音楽でなくてもいいです)を、
聞き直してみる快感って、ものすごいものがあります。
それは自分で録音した現場空間(周辺環境)の
感覚や記憶が鮮烈に残っているから。

でも、フィールドレコーディング(野外録音)のよさは、
それだけじゃないと思うんですよ。
一言で言えば「バリアフリー」といいますか…。
誰にでも音の効用を共有できるのではないでしょうか。

例えば、病気や何らかの理由で、
簡単に外に出て行けない人たちがいるとします。
でも、気持ち的には外に出かけて、
そこにある野外の空気を一杯吸ってみたい。

「京都のあの場所に出かけたいな」とか、
「身体が動かないけど、昔遊んだ川の音が聴きたいな」とか。

野外で収録してきた音はバーチャルであっても、
そうした人たちの思いを、
擬似的でも自由にする力があると思います。

音楽療法という言葉で片付けたくはないけれど、
録音された環境音を、
部屋の天井を見上げることしかできない人たちに、
うまい具合に使える術はないものかと夢想…。

ドラえもんの道具に、
音を缶詰にする「吸音機」があるけれど、
それを平和利用するようなやり方で、
フィールドレコーディング素材は使えると思うのです。

音にこだわりをもつ人たちの中には、
「原音主義(=生音信仰)」の話がよく聞かれますが、
疑似音源でも相応の使い方はあるのではないでしょうか。