47回目の誕生日を迎えて。 / '18.01.15

昨日は47回目の誕生日であった。多くの知り合いからお祝いメッセージが届き、非常に驚いている。ただただ、ありがたく感じるばかりである。

この歳になって誕生日を純粋に祝うということもないのだけれど、最近よく思うのは自分の誕生日で一番感謝すべきなのは、母親ではないかと思う。命がけ(というよりも命と引き替えの覚悟で)で自分を産んもらったわけだから。自分はただ自動的というか受け身で気がつけばこの世に居るといった感じである。

で、思うに「誕生日」という日の意義は何だろうか、と改めて感じる。それは詰まるところ、日常という「生きることへの慣れ」という心理状態を、一旦突き放して「自分が生きていることを客観的に再認識する」ことではないだろうか。惰眠のように感じる怠惰な日常感覚を叩き起こすのである。

毎年誕生日の前後には、まるで「自分が生まれ変わった」ような感覚に一瞬なる(とは言っても、その感覚はすぐに忘れてしまうのだけれど)。その節目を感じることが、自分にとって誕生日を通過する最大の効用のような気がする。

自分の感覚の一部が小さな死を迎え、また新たに蘇生する感覚を、昨日の誕生日でも少しだけ感じることが出来た。また一年、少し生まれ変わった感覚で過ごすことができそうだ。

メッセージをいただいたみなさんに、感謝の気持ちを込めて‥。